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恋するトマトJ

「な、何すんだよ!」

話し終えたロヴィーノを、アントーニョは無意識に抱きしめていた。
「…怖かったやんな」
腕の中で暴れるロヴィーノを、さらに強く抱きしめる。
「え?」
「ごめん。俺、ロヴィのこと、なんもわかってへんかった」

抱き締められている所為で、アントーニョの表情は全くわからないが、声音には、後悔と自責の念がこもっていた。
「…謝んなよ」

ロヴィーノはアントーニョの背中に手を伸ばして、服をぎゅっと握りしめた。
気温は高かったけれど、触れ合う体温は心地良かった。
「でも…」
「楽しかった。アントーニョと一緒に居れて、すげえ楽しかった。だから、もういいんだ」

服を掴んでいた手を放して、ロヴィーノはアントーニョの胸を強く押す。
やっと見えたその顔は、ロヴィーノの予期した通り、驚きに満ちていた。
「ロヴィ、何言って…」
「だから、お別れだって言ってんだろ。何度も言わせんなよ、このやろー」

まるで、今日の天気は晴れです、なんて告げるみたいに、ロヴィーノは笑って言った。
「…な」
「え?」
「そんなアホなこと本気で聞けるか」

アントーニョは真剣な表情で呟く。
自らの覚悟を一蹴され、ロヴィーノは僅かにたじろいだ。
「っ……」

だが、またすぐに笑顔を浮かべて、アントーニョは言う。
「もっと楽しいこと、一緒にしようや。ロヴィが見てきたんは、まだまだ序の口やで」
「…無理だよ」
ロヴィーノは、泣きそうな顔をごまかすために俯いて、首を横に振った。
「…ロヴィ、ロヴィは、どうしたいん?」

そんなロヴィーノを諭すように、アントーニョは尋ねた。
「……」
地面を見つめたままのロヴィーノに、アントーニョは続けて言う。
「ロヴィは、迷惑になるって言ってたけど、全然そんなことないねんで?ロヴィが一緒にいてくれるだけで、百人力やからな!」

いつの間にか、またアントーニョの服を握りしめていた手に力を込めて、ロヴィーノは呟いた。
「…アントーニョ」
「何や?」
それが言ってはならない言葉だとわかっているのに、言うのをやめられなかった。
「…助けて」

だが、ロヴィーノの言葉を聞いたとたん、アントーニョの表情がぱっと華やいだ。
「まかしとき!」

それとは対称的に、低い声が辺りに響いた。
「…やっぱここにいたんだ」
「っ…!」

ロヴィーノはあからさまに動揺して、無意識に二、三歩後退する。
それを見た金髪の青年は、口元を歪めて笑った。
「お前、さっきの…」

アントーニョが言いながら振り返ろうとすると、ひんやりとした塊が、背中に押しつけられた。
「動かないでくれないかい?」
「っ……」
さらに力を込められ、銃口がぐり、とアントーニョの背中を抉る。
「狙いが逸れて君に当たりそうだよ」

笑いを含んだ言い方が癇に障り、アントーニョは腰の短刀を引き抜いて、後ろの金髪に切りかかる。
「おもくそ俺に当てる気やんけっ…!」
「っと、危ないな」

軽々とそれを避けた金髪は、わざとらしく驚いた顔を作る。
「ロヴィ!はよ逃げ!」

金髪に向き合ったままアントーニョは叫ぶが、ロヴィーノは微動だにしない。

「ロヴィ!」

焦れた再び叫んだアントーニョがちらと後ろを見た隙に、金髪が一気に間合いを詰める。
そして、短刀を持った右手を掴んで捻りあげた。
「…っうわ!」

アントーニョの手から、短刀が落ちて転がっていく。
ついでに金髪は足払いを仕掛け、その身体を地面に倒した。
「痛っ…!」
「アントーニョ!」
「動くな」

アントーニョの後頭部に銃口を押し付け、金髪は近付こうとしたロヴィーノを牽制する。
「…っ」
「俺も余計な人間は殺したくない」
「はよ逃げって!」

アントーニョは力一杯叫ぶが、ロヴィーノは金髪を睨んだまま動こうとしない。
金髪は舌打ちをして、地面に伏せたままのアントーニョの腹を蹴った。
「…ぐあっ…」

蛙が潰れたような声を発するアントーニョの背中に片足を乗せ、嘲笑混じりに金髪は言う。
「余計な発言は謹んでくれないかい?…でも、彼は君を見捨てるほど薄情な人間じゃないよ。ねえ?」
「……」
一点を睨みつけたまま、ロヴィーノは答えない。
「そうだ、俺と取引をしようよ」
「え?」

唐突すぎる提案に対応できず、ロヴィーノは眉間にしわを寄せて聞き返した。
「君が死ぬ代わりに、彼を助ける」
「なっ…」
信じられない取引に、地に倒れた男は思わず声をあげ、金髪の前に立ち尽くす青年は、唾を飲み込んで喉を鳴らした。
「…ほら」
金髪は地面に落ちていた短刀を拾い、ロヴィーノに投げる。
「それで死んでみせて」

何でもないことのように言い放つ金髪の青い眼は、どこまでも澄んでいて、今日の晴天を思わせた。
「っ…」

投げつけられたそれは、十センチほどの刃に陽光を反射させている。
「お前、何言うてんねん!ふざけんなや!」
必死に逃れようとするアントーニョの腕を、後ろ手に拘束し、金髪はその上に体重をかける。
「本当に、アントーニョを助けてくれるんだな?」
「ロヴィ?!」

まっすぐ目を見て確認するロヴィーノに、金髪は薄っぺらい微笑みを崩さずに応じる。
「もちろん。もともと彼を殺すつもりはなかったしね」
ロヴィーノはかがんで、迷いなく短刀を拾った。

「ロヴィ、やめろ!」

アントーニョの必死の制止にも関わらず、ロヴィーノは刃先を自身の腹部に向ける。
「…なあ、アントーニョ」
「え?」

呼びかける言葉は穏やかで、風のない海を思い起こさせた。
「これで、本当にお別れだな」
「っざけんなや…!放せ!」
懸命に振りほどこうともがくが、力でねじ伏せられ、全て無意味だった。
「俺はお前を忘れないよ。でも…」

風が凪いで、草木の擦れ合う音だけが聞こえる。
ロヴィーノの瞳から雫がこぼれ落ち、頬に透明の跡を残す。
「俺のことは、忘れてくれ」
けれども、ロヴィーノは微笑んでいた。
アントーニョはその涙を拭うこともできず、地面に縫いつけられたままであった。
「…あかん。やめてくれ…」

「愛してるぞ、アントーニョ」

逆手に握った短刀が、まっすぐ持ち上げられる。
切っ先は一点を向いたまま動かない。

「待て、ロヴィ!」

一瞬一瞬が、コマ送り再生みたいに、ゆっくりと進んでいた。

「ロヴィ!!」

刃がロヴィーノの細い身体に突き刺さって、彼が苦しげな表情を浮かべて、地面に倒れて。
真っ赤な血が、広がっていって。
「あ、あああああ!!」

死んでしまったのか、気絶しているのか、ロヴィーノは目を閉じたまま動かない。
「…お前、絶対許さんからな!」
「最高のショーだったよ」

何がそんなに可笑しいのか、金髪は堪えきれない、といった様子で笑った。
「…ふざけんな!」
「さて」

強い怒気を孕んだアントーニョの叫びも、耳に入っていないらしく、淡々と銃口をその後頭部に当て直した。
「っ!!」
「これで幕を引こうじゃないか」

なんとも愉しげに金髪が言ったその時、聞いたこともない人間の声がした。
「…アル?」
「っ…!」

アル、と呼ばれた金髪の青年の表情から、ありありと驚愕が浮かんで見えたが、彼はすぐに、取り繕った鉄面皮を作った。
「アル、お前、何してんだよ…」
驚きを隠せずに、アルと同じ色の髪をしたスーツの男は言った。
「…アーサー」

呟くアルの手の力が緩んだ隙に、アントーニョは腕を振り払い、ロヴィーノの元へ駆け寄る。
「なんで、君がここに…」
「出張中だ」

アーサーが冷やかに返すと、アルは納得したらしく、気のない相槌を打った。
「ああ…」
「そんなことよりお前、何してんだよ!?」
「見てわからないのかい?」

吐き捨てるように、質問に質問を返すアル。
アーサーはそんな彼に、静かに言った。
「…アル、今すぐそれを捨てろ」
「できないね」

溜息混じりにそう言うと、アーサーは無言で、アルの方へ歩を進めてきた。
「……」
「止まれ!」

いきなり焦りを露わにして、アルは叫び始めた。
銃口は一直線上にアーサーを捉えているのに、彼は進み続ける。
「止まれって言ってるだろう?!」

とうとうアルが引き金を引いて、音もなく弾丸が発射される。
だが、それは僅かにアーサーの右腕を掠めるだけにとどまった。
「…っ痛!」
「…あ」

アーサーは顔を苦痛に歪めながらも、アルに近付き、正面に向かい合う。
「…そいつを捨てろ」
「……な、んで…」

震えた声を出していたと思ったら、今度は大きな叫び声をあげる。
「なんで止まらないんだよ!」
「止まるわけねえだろ」

微かに笑って、アーサーは言った。
「え?」
「…いつまで経ってもガキはガキだな」
「うるさい!」

呆れを含んだ声音で言うアーサーに、アルは銃口を向け直す。
もはやそこにいたのは、ロヴィーノを追い詰める捕食者でも何でもなく、罪悪感にかられた、ただの子供だった。
「アル、やめろ。取り返しがつかなくなる」

優しく諭すアーサーの声には、死への恐怖など、微塵も感じられなかった。
「っ…うるさいうるさいうるさい!」
「いつまでも甘ったれてんじゃねえよ!」

ぱん、と乾いた音がして、アルの頬に赤い痕が残る。
平手打ちをくらったのだ、
とアルは気付いたが、何も言えなかった。
「…っ」
「俺が何も知らなかったと思ってんのか!?」
「……」
「…アル、もうやめろ」
「…なんで」

ようやくアルが発したのは、疑問を滲ませた言葉だった。
「お前にそんなことして欲しくない」
「…随分勝手だね」

アーサーへの当てつけに、皮肉混じりにアルは言った。
「勝手でも構わねえよ。後、約束を守ってもらわないとな」

皮肉をさらっと受け流し、アーサーは口の端をあげて言ってみせる。
「約束?…ああ、あれか」
呆けたように言うアルの手から、真っ黒のオートピストルが滑り落ちた。

「忘れんなよ」

それだけ言って、アーサーは動かない青年を抱きかかえる黒髪の男に歩み寄る。
「…今、救急車呼ぶから、待っとけ」

そして、懐から携帯電話を取り出し、一一九に発信する。
アントーニョはまだ暖かいロヴィーノの身体を抱きしめ、傷口を押さえる手を血塗れにしながら言った。
「…ありがとう」



 *



まだサイレンの音は鳴り響いている。

救急車か、はたまたパトカーか。
結果の見えている賭けほど、つまらないものはない。
だがそれもまた、彼にとっては一つの試合終了の合図に過ぎなかった。
「…あ」

階段を駆け上がってくる、複数の人間の足音が、耳から脳内にも響いて、非常に不愉快である。
ブラインドサッシの隙間から、僅かに漏れる光が、彼の黒髪を輝かせた。
「もう、ゲームオーバーですか」
貿易商の兵器横流し、軍の介入か、と新聞が騒ぎ立てるのは、まだ先のことであった。