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恋するトマトI

新月の夜であった。
いつもならば、空と紛れるほど暗い海の上には、白く光る月が浮かんでいるはずだが、今日は、灯台の明かりを水面に映すのみである。
港に立ち並ぶ倉庫の一つに、二人の人間がいた。
「兄ちゃん、そっちの仕事終わった?」
「いや、後もう少し…」

一人は、まだ荷物の運搬を終わらせていないらしく、トラックからダンボールを下ろしていた。
それを見た弟が、手伝いを申し出る。
「俺も手伝うよ」
「ありがとな」
「ううん」

残っていた荷物は大した量ではなく、二人で片付けると割と早くに終わらせることができた。
「あ、これで最後だ」

弟が、最後の荷物を運んで、その兄―ロヴィーノに尋ねた。
「終わり?」
「ああ」

ロヴィーノは頷いて、倉庫から出るよう弟に促す。
「帰るか」

外に出て、倉庫の鍵を閉める。
すると、穏やかな波の音に紛れて、人の声が聞こえてきた。
「…誰だ…?」
「兄ちゃん、どうしたの?」
「ちょっと見てくる」
「え?」

普段は、人気のないコンテナ置き場から、確かに声が聞こえる。
不審に思ったロヴィーノは、コンテナの陰から覗き見る。
「……で…のはずですが?」
「そんな訳ないだろう!」

向かい合っている二人のうち、金髪の方が叫び声を上げた。
その上の、白く光を放つ電灯に虫がたかっていた。
「その金額ではこれが限界です」

叫ぶ男に、黒髪の男は冷ややかに返した。
向かい合う二人の後ろで、金髪に眼鏡をかけた男が、コンテナにもたれかかって、退屈そうにその様子を眺めていた。
「……っ!」

ふと気付いてみれば、黒髪の男の足元には、開いた黒いアタッシュケースが転がっている。
地面に散乱しているその中身は、ドル紙幣の札束であった。

「ふざけるな!それを提示したのはお前の方だ!」
「…交渉決裂ですね。…アル」

やれやれ、とでも言いたげに溜息を吐いて、黒髪の男は言った。
「ん?いいの?」
アルと呼ばれた男は、黒髪の男に尋ねた。
「構いませんよ」
「な、何を…。やめろ、頼む、やめてくれ。金なら払うから…」

アルは懐から、何か手の平に収まる程度のものを取り出した。
ライトに照らされて、黒光りしているそれを見て、急に態度を変えた男のために、ロヴィーノは、それが銃だと確信した。
「…はは、その台詞、まんま昨日見た映画の悪役だよ」
じりじりと後退する男に嘲笑を浮かべながら、アルは言った。
「やめっ…」

引き金が引かれて、くぐもった銃声が聞こえてきた。
男は脳天に風穴が空いて、地面に崩れ落ちる。
何かが地面を転がって、甲高い音が辺りに響いた。
ロヴィーノが、誤って足元の空き缶を蹴飛ばしてしまったらしい。
「誰かいるのかい?」

金髪は銃口をこちらに向け、躊躇いもせず撃ってくる。
だが、コンテナに弾かれて、全く意味を成さない。
「……っ」
「アル、後はお願いしますね」
最後に見えた黒髪の男は、背筋が凍るような愉悦の笑みに歪んでいた。
アルも、獲物を狙う猟犬よろしく、ロヴィーノの方へ走る。
「了解、」

夜はどこまでも深く、底が知れなかった。
「…キク」

電話のスピーカーから、少しノイズの入った声が聞こえてくる。
「こっちはそんな感じ」
アルフレッドが近況報告を終え、菊は頭を巡らせる。
「なるほど、ね。…もう一度、その彼を訪ねてみていただけますか?」

黒い革のリクライニングソファに深く座り込んで、菊は天井を見上げた。
ブラインドサッシから差し込む朝日が、線を引いたように、壁に映る。
結局、眠れずに一晩を過ごしてしまったらしい。
「わかった。けど、なんで?」
「何故でしょう?全ては彼が握っている…そんな気がしてならないんですよ」
「へえ」

聞いておいて特に興味もなさそうに、アルフレッドは相槌を打った。
「今度こそ、逃がさないでくださいね」
「…了解」

通話が切られ、ツーツー、と音を立てる携帯電話を閉じる。
「…ゲームは続けなくてはならない」

立ち上がって、誰に言うでもなく菊は呟いた。
「…せいぜい楽しませてくださいよ?」
まるで逃げ惑う鼠を追い詰める猫の気分で、笑いが止まらなかった。