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恋するトマトF

こんなに賑やかな日々を送るのは久しぶりで、毎日がとても充実している。
もちろん、ギルベルトやフランシスは古くからの友人で、よくつるんでいた。
が、父が亡くなってからは、こんな風に誰かとずっと一緒に過ごす機会など、全くと言っていいほどなかったのだ。
亡き父も、今の自分と似たような思いを抱えていたのだろうか。

昼の休憩も終えて、太陽がてっぺんを過ぎたところで、アントーニョは、ロヴィーノに話しかけた。
「なあ、ロヴィ」
「なんだよ」

まだちょっと不機嫌を引きずっているらしく、ロヴィーノは、つっけんどんに言った。
「ちょっとサボらへん?」
「は?」
「行こうや」
ロヴィーノのカゴを担いで、アントーニョは足早に歩き出す。
「え、どこ行くんだよ」

戸惑いながらも、ロヴィーノはアントーニョに付いていく。
「着いてからのお楽しみや」
「え、おい!」

畑を通り抜けた先には、農具や収穫物などを一時的にしまっておくための納屋がある。
二人分のカゴを納屋の入口の日陰に置いて、アントーニョはその建物の横に伸びる細い道に入る。
「…まじでどこ行くんだよ」
「内緒」

あまり乗り気ではないようで、ロヴィーノはアントーニョの二、三歩後ろをだらだらと歩く。
そして、けもの道は歩きにくく、二人は横から飛び出している樹の枝を避けながら進んだ。
「まだ歩くのかよ」
「もうちょっとやから」

そう言って、アントーニョはロヴィーノの手を握り、再び歩き出した。
ロヴィーノはほぼ引っ張られるようにその後を追いかける。
けもの道を十五分ほど歩いたところで、どこに行くのかわからないことへの不満もあって、暑さに体力を削られたロヴィーノがぶつぶつとぼやいた。
「なー…まだかよ…」
「もうちょっとやし」
「…さっきからそればっかじゃねえか!」

ロヴィーノはとうとうアントーニョの手を振り払い、積もりに積もった鬱憤を爆発させた。
「そんなことないで」
なんとか怒りを鎮めようと、アントーニョは優しくなだめる。
「いや、それしか言ってねえだろ!」
だが、暑さでますます募った苛立ちをぶつけるように、ロヴィーノは叫んだ。
「ロヴィ」

鳥の鳴き声と、木々のざわめきしか聞こえない、静かなけもの道にアントーニョの声が響く。
「ほんまに後ちょっとやねん。行こ」

まっすぐロヴィーノの方を見、真剣に言うアントーニョ。
その気迫に押されて、ロヴィーノは半分投げやりに了承した。
「っ…わかったよ!」

心底幸せそうに笑うアントーニョを見るのがなぜか恥ずかしくて、ロヴィーノは目を逸らした。
アントーニョは、もう一度ロヴィーノの手を取って、歩き始めた。
手から伝わる体温がなんだか気恥ずかしくて、ロヴィーノの顔が、にわかに紅潮する。
アントーニョの体温は高いから、それが移ったんだ、と自分に言い聞かせて、気にしないことにした。
「あ、ほら!ロヴィ!」

更に歩いた後、いきなりアントーニョが声を上げた。
「なんだよ」
ロヴィーノも目の前の枝を手で払いながら、一歩前へ進んだ。

「……あ」
そこは、小さな岬のような場所であった。見渡す限り、どこまでも青い海と空が広がっていて、ロヴィーノは感嘆の息を漏らす。
「うわ…」

海面から入道雲が沸き上がっており、青のキャンパスに白い絵の具を塗りたくったように思わせた。
水平線に吸い込まれていくかのように前へ出るロヴィーノに、アントーニョは満足そうな笑みを浮かべて尋ねた。
「綺麗やろ?」

すっかり景色に釘付けになっているロヴィーノは、心ここにあらず、といった様子で答える。
「…うん」

潮風が絶え間なく吹き抜けて、後ろの木々をざわつかせた。
「俺のな、秘密の場所やねん」
独り言のように、アントーニョは呟く。そして、冗談っぽく続けた。
「…もうロヴィに教えてもうたから、秘密やなくなったけどな」
今までの言葉を話半分に聞いていたと見えたロヴィーノだったが、ふとある提案を口にした。
「…俺も、誰にも言わない。だから、俺と、アントーニョの秘密の場所にしよう」

後ろから押し殺した声が聞こえ、ロヴィーノは振り返る。
見ると、アントーニョが必死に口を閉じようとしている。
「笑うな!」
「ちゃうちゃう。これは親父のこと思い出したからやって」

そういえば、アントーニョの家族の話を聞いたのは、これが初めてで、ロヴィーノは聞き返した。
「…親父?」
「うん。昔、親父にようここに連れてきてもろてん」

言いながら、アントーニョは腰から下げた古いナイフに触れた。
その表情がどこか寂しげで、ロヴィーノは何も言えず、ただ相槌を打つ。
「…そうなんだ」
「なんか、ロヴィとおったら、懐かしくなってなあ。連れてきてしもた。ごめんな」

頬を指で掻きながら、アントーニョは照れくさそうに言う。
「別に気にしてない。海、好きだし」
「良かった」

海をじっと眺めながら、言うロヴィーノの後ろ姿を見つめて、アントーニョは微笑んだ。
「…ちょっと前まで」
波のさざめきに紛れそうなくらい小さな声で、ロヴィーノが言った。
「ん?」
「ちょっと前まで、海の近くに住んでた」
「そうなんや」
「弟と一緒に、港で働いてた」
「…うん」

ロヴィーノは振り返って、それ以上何も言わないアントーニョに尋ねた。
「…聞かねえの?」
「何を?」
「なんで、こっちに来たのか、とか…気になんねえの?」

あからさまに聞いて欲しくなさそうなロヴィーノに、アントーニョはゆっくりと言った。
「…そりゃ気になるけど、聞かへんよ」
「なんで?」

ロヴィーノは眉根を寄せて、即座に言及する。
「聞かれたくなさそうやったし…。ロヴィが話してくれるまで、待とう思て」

俯いて、ロヴィーノは心からの感想をこぼした。
「…馬鹿だろ」
「なんでやねん」
「こんな素性の知れない怪しい奴に情けかけてんじゃねえよ」

ロヴィーノは吐き捨てるように呟いたが、屈託のない笑顔で、アントーニョは言い切った。
「別にええやん。俺がそうしたいねん」
「っ…後悔しても、知らねえぞ」
「かまへんよ」

このところよく耳にする、後悔というフレーズに、アントーニョはやはり同じ答を返す。
再び海に向かうロヴォーノの姿が、そのまま海に消えてしまいそうで、アントーニョは思わずその名前を呼んだ。
「ロヴィ」
「なんだよ」
「頼むから、何も言わんと、どっか行くんだけはやめてな」
「え?」

不意を突かれて、ロヴィーノは間の抜けた声を上げる。
「俺にできることやったら何でもするし」
「いきなり、何言ってんだよ」
「今のロヴィ、ほんまにどっか行ってまいそうやってんもん」

何故か焦ったようなアントーニョの声音だった。
しばらく押し黙って、ロヴィーノは、足元に広がる透明な海をじっと見つめてぽつりと呟く。
「…行かねえよ」
「え?」

俯いている所為で声がくぐもって、アントーニョにはよく聞こえなかった。
聞き返すと、ロヴィーノはまた同じ言葉を繰り返す。
「行くわけねえだろ、ばーか」

その言葉が終わるか終わらないか、という時に、アントーニョは叫び声を上げた。
「あ!ロヴィ!」
「なんだよ?」
柵も何もない、崖の地面すれすれのところに立つアントーニョの視線の先には、だだっ広い海に浮かぶ一隻の船があった。
貨物船と見えるその船は、ゆっくりと近くの港へ向かっている。
「船やで!」

そして、声を張り上げて叫びながら、船に向かって大きく手を振り始めた。
叫び声は空と海に吸い込まれて、風の凪いだ音に紛れて消える。
「おーい!」
「…気付くわけねえだろ」

負けじと叫ぶアントーニョに、ロヴィーノは冷めた反応を見せる。
「わからへんで?…おーい!」

気づくかもしれないし、気付かないかもしれない。
けれど、アントーニョはいたずらっぽく笑って、一人で叫び続けた。
「ロヴィもやろうや」

その様子を横目に見ていたロヴィーノの腕を掴んで、アントーニョは引き寄せる。
「は?やらねえよ」
「すっきりすんのにー…」
またロヴィーノが冷やかに返すと、アントーニョは残念そうな顔をして、また大声を上げる。
「おーい、おーい!」
「全く、馬鹿じゃ…」

そう言いかけた時、低く唸るような音が響いた。
あの貨物船が、こちらに気付いて警笛を鳴らしたのだ。
「え?」
予想外の事態に、ロヴィーノはただ驚いて、警笛を鳴らす貨物船を見つめる。
「ほら、気付いたやん」
「……っおーい!」

アントーニョが言うと、ロヴィーノもその隣にならんで、一緒に叫び始める。
「おーい!」

二人の影が揺れ動き、同時に先程よりも大きくなった叫び声が水平線の向こうに消えていく。
「おーい!」
「おーい!おーい!」
ひたすらに叫び続けるうち、とうとう貨物船は、港の傍らに横たわる巨大な岩壁の陰に隠れて、見えなくなってしまった。
「…行ってもうたな」
「うん」

頷くロヴィーノの表情が、心なしか寂しそうに見えてしまい、アントーニョはおどけて言った。
「すっきりしたやろ?」
「…うん」
アントーニョの気遣いがなんとなく伝わってきて、ロヴィーノは右に並ぶ男に僅かに微笑みかけた。