港から車で十五分ほど走ったところに、そのレストランはある。
ここまで来ると、なかなか都会じみた街並みが広がっている。
半分都会、半分田舎。そんな言葉が似合う街だ。
トマトを詰めたダンボール箱を抱えたアントーニョは、レストランの扉を押す。
「トマト持って来たで」
「いらっしゃい」
店内からひんやりとした空気が通り抜けていく。
すぐに店の中に入り、客の三人は汗が引いていくのを感じた。
アントーニョは、カウンターの中にダンボールを置いて、フランシスに言う。
「お、クーラー直ってるやん」
「そうだよ。どっかのプーの弟君が直してくれたからねー」
フランシスの皮肉にギルベルトは文句をつけるが、全て右から左である。
というのも、フランシスの注意はアントーニョの後ろに引きつけられていた。
「…って、あれ、その子…」
その視線の先には、アントーニョの陰に隠れて様子を窺っている茶髪の青年がいた。
「ああ、新しいバイトの子や」
「へえ…。初めまして、フランシス・ボヌフォアです。君は?」
できるだけ優しく、を心掛けて、フランシスは自己紹介する。
無論、営業用スマイルも絶賛活用中だ。
「…ロヴィーノ・ヴァルガス」
アントーニョに背を押されて出てきたロヴィーノは、眉間にしわを寄せて言った。
「そう。よろしくね」
「…こちらこそ」
気難しい表情を一向に変える気配を見せないロヴィーノ。
フランシスは、彼はそういう子なのだ、と納得して、アントーニョに言う。
「折角トマト持ってきてくれたし、これで何か作るよ」
「おお、頼むわ」
「あ、嫌いなものとかないよね?」
一応ロヴィーノに確認するフランシス。
店に入ってきた三人は、カウンター席の真ん中に陣取った。
「う、うん」
戸惑いつつも頷くロヴィーノを見て、フランシスはふと思いついた質問をする。
「…ところでさ、ロヴィーノって兄弟とかいる?」
「え?…一応、弟が一人いるけど…」
「そっか」
ロヴィーノの答えを聞いて、なぜそんなことを聞いたのか、なんとなく合点がいった。
「?どないしたん?」
「いや、何でもないよ。可愛い子に質問したくなるだけ」
フランシスが笑ってはぐらかすと、アントーニョは表面だけ柔らかく言った。
「あんまいじめんといたってな、ヒゲ」
「そんな身体的特徴で呼ばないでくれる?」
「プー呼ばわりされるよりましやろ?」
「まあね」
ギルベルトの話が引き合いに出されると、当人も二人の間に割り込んできた。
「お前、わかってんならその呼び方止めろよ」
「え?嫌やわ。プーはこれ以上の特徴ないもん」
「あるだろ!特徴だらけだろ!」
「ないない」
つまらない言いあいが続く中、フランシスはダンボールの中からトマトを二、三個取り出し、流水で軽く洗う。
「ごめんねー。うるさくて」
「いや、別に…」
「いつもこんな感じなんだよ」
「そうなのか」
普段のお客さんと接するのと同じ感覚で、フランシスはロヴィーノに話を振る。
その隣では、アントーニョとギルベルトの醜い言い争いが続いていた。
「ロヴィーノって、いくつ?」
「二十三歳」
「見えないね。もっと若いかと思ってたよ」
「そうか?」
「うん。あ、何飲む?」
フランシスがそう尋ねたところ、全く違う方向から返事が返ってきた。
「ビール!」
「はいはい。…ロヴィーノに聞いてるんだけど」
そんな呟きはスルーして、ギルベルトは出されたビールをさっそく飲み始める。
「えっと…」
「特にないんだったら、赤ワインでも飲む?」
「あんま飲ませんといてや?」
「わかってるって」
冗談で言ったにも関わらず、フランシスはアントーニョに釘を刺されてしまった。
「んじゃ、オレンジジュースでも出そうかな。いい?」
「あ、うん」
「お前は何飲む?」
と、今度はアントーニョに尋ねるフランシス。
「んー…俺もオレンジにしよかな」
「了解」
業務用の冷蔵庫からオレンジジュースの紙パック、カウンターの下から冷えたグラスを取り出す。
そして、グラスにオレンジジュースを注いで、テーブルに置いた。
「ところでさ」
酒を仰いでいたギルベルトが突然話を切り出した。
「何?」
オレンジジュースを一口飲んで、アントーニョは聞き返す。
「最近ずっと見られてる、とか言ってただろ?あれ、どうなったんだ?」
「…っ」
まだグラスに口を付けたままだったロヴィーノは、ジュースを吹き出しそうになるのを、なんとかこらえる。
「あ、あれな…多分気のせいやわ!」
「やっぱりな。どーせ、動物か何かがいたんだろ」
「うん。そうやと思うわ」
アントーニョのごまかしが通じるのはギルベルトぐらいなもので、フランシスは笑いをこらえながら包丁を動かした。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってくる!」
唐突にロヴィーノは立ち上がって、店の奥の方にあるトイレに駆け込んだ。
「…ずいぶん可愛い動物だね」
ロヴィーノが見えなくなった後、フランシスは笑ってアントーニョに言った。
「うっさいわ」
「え?何の話だ?」
話に付いていけず、ギルベルトはアントーニョに尋ねる。
だが、教えてもらえるはずもなかった。
「プーには関係ないですー」
「ちょ、ひでえ」
「俺のこと気にしてる暇あったら、定職につけや」
「それとこれとは関係ないっつの」
「はいはい。喧嘩はやめてよね」
再び始まりそうになった言い争いをやめさせて、フランシスは大鍋の中の、気泡を立てて沸騰した湯に、乾燥パスタを投入した。
「料理まだなん?腹減ったわ」
「はい。前菜のサラダ」
縁だけに青く色の付いた、ガラス製の皿に盛りつけられた野菜にドレッシングをかけて、それをアントーニョに手渡した。
続いてギルベルトに渡し、最後にロヴィーノの席に置いた。
「うまそうやわあ。さすが俺の作った野菜や」
「親バカもほどほどにね。あ、ギル、ジャガイモはもうちょっと待って」
「おう。いただきまーす!」
フォークを手に取り、瑞々しいサラダを食べようとしたギルベルトは、ふとその手を止めた。
「…あれ、食わねえの?」
「いや、ロヴィ待っとこ思って。先食べてええよ」
「……」
きっぱりと言ったアントーニョにならって、ギルベルトもフォークを置いた。
「あれ、食べへんの?」
「なんかそう言われると食べづらいじゃねーか」
ギルベルトは、こんなところだけ妙に律義なのである。
食べればいいのに、と思いつつも、アントーニョは何も言わずにトイレの方を見る。
「…あ、戻ってきた」
まだ料理ができたことに気付かないロヴィーノに向かって、アントーニョは呼びかけた。
「ロヴィ!もう食べれんで!」
ロヴィーノは慌ててアントーニョの右横の席につく
「いただきまーす!」
「…いただきます」
俯き気味にサラダを食べるロヴィーノの髪が若干濡れていることが、アントーニョの目を引いた。
「…あれ、ロヴィ」
「ん?」
「髪濡れてんで」
「え、あ、汗!汗かいてたから、顔洗ってただけだ」
気付かれると思っていなかったのか、ロヴィーノは聞いてもいない質問の答えを返してくれた。
「?そうか」
「パスタできたよー」
「パスタ?!」
フランシスの言葉に、一番大きく反応したのはロヴィーノであった。
「あ、今日パン切らしちゃったから…。もしかして、だめだった?」
「いや、そういうわけじゃ…」
ロヴィーノが否定すると、フランシスはほっとした表情を浮かべた。
「良かった。トマトの冷製パスタだよ」
これもまたサラダと同じような涼やかな深皿に盛りつけられていて、細めのパスタの上にどろっとしたトマトソースと、賽の目状のトマトがたっぷり乗っている。
さらに軽く振ったパセリが彩りを添えていた。
フランシスが三人の目の前にパスタを並べると、三人ともすぐにそれを食べ始めた。
「…んー!美味いわ!」
一口食べて、アントーニョが素直な感想を言う。
「…美味しい」
それに続いて、ロヴィーノも顔を上げ、ぽつりと呟いた。
「…ありがとね」
この子は、こんな表情もできるのか。
フランシスは小さく驚嘆して、すぐに笑顔を取り繕う。
さっきまでの不機嫌そうな顔とは、百八十度違う印象を受けた。