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「知音-If you took something,-」

思い出すのは、あの夜のこと。

共同住宅は、四人家族には狭い。
今年で16歳になる自分と、双子の弟が同じ部屋で寝るのは間違っていると思っていた。
だが、両親には全く引っ越す気はないらしい。
昔は画家を志していた父。 今は何をしているのか、よくわからない。
そして、かつてはイタリア一のディーヴァと謳われる程、有名なオペラ歌手だった…らしい母は、酒場で働いている。多分。
普通に暮らせているから、別にいいんだけど。

その夜、子供部屋の狭いベッドで弟と二人で寝ていた俺は、扉の向こうから聴こえてくる両親の声で目を覚ました。
「……で……!?」
「…かって……、…は……た………」
寝起きで頭が働かない所為で、何を言っているのかまでは聞き取れないが、言い争っているように思えた。
上半身だけ起こして、隣にいる弟を見る。
弟は、安らかな寝息を立てていた。
ベッドから立ち上がり、子供部屋の扉を開ける。
薄暗い廊下には、両親のいるリビングからの明かりが、僅かに漏れていた。

「だから、今さら止めるのは危険だって言ってるでしょ!」
「俺も考えた、けど、そうする以外思いつかないんだ!」
「あの仕事を続けた方がいいに決まってるわ!あなたは止めていいかもしれない。だけど、私や、あの子たちはどうなるの!?」
きつい語調でまくし立てる母。父は、分が悪そうだった。
「っ…それは…俺がなんとかする」
「本当になんとかなるって思ってるの?思ってるとしたら、救いようのない馬鹿ね!」
「やってみないとわからないだろ!」

もやのようなものがかかっていた予感が、はっきりとしてきた。
今まで、心の中でも触れてこなかった結論に至る。

父はきっと、画家になろうとして、なれなかった人なんだろう。
だから、俺の知らない世界に足を突っ込んで、もう戻れなくなったんだろう。

そのまま引き返して、開けっ放しの扉から子供部屋に戻る。
すると、弟も起きていたらしく、眠たげな目をこちらに向ける。
「…どうしたの?」
「ちょっと、トイレに行ってただけだ」
「そっか」
いつものように微笑んで、弟は再びベッドに寝転び、こちらに背中を向ける。

言い争っていたこととか、父が何をしてるのか、とか。
…多分、弟は気付いてないんだろう。
でなきゃ、あんな風には笑えない。

思えば、あの夜が全ての始まりで、全ての終わりもまた、あの夜だったのかもしれない。







翌日。
7限終わりのチャイムが鳴って、夕陽の差し込む教室で生徒たちが帰り支度をし始めた。

今日は、弟が美術部に行くとか何とかで、一人で帰らなければならない。
適当に同級生と挨拶を交わして、帰路につく。
家の近くはやけに静かで、いつもすれ違う近所のおばさんとも遭わなかった。

妙な胸騒ぎがしたのを、覚えている。

15分ほど歩いて、家に到着する。
家の鍵を差し込んで回すが、元々開いていたらしく、鍵を抜いて扉を開く。
入って最初に感じたのは、鉄と、生臭い何かが入り混じった匂い。
ブレザーの袖で鼻を抑えながら、家の中を進む。
嫌な予感がさらに強まり、身体中から冷や汗が溢れる。
日当たりの悪いこの家は薄暗く、しんとした空気が不安を助長する。
リビングへ通じる扉を恐る恐る開くと、そこには一つの大きな塊があった。
それに近づくと、足が滑って転びそうになる。床がぬめっているのだ。
強くなるばかりの生臭さと鉄臭さに嗅覚を刺激され、気分が悪くなってくる。

「っ…」
近付いてみてわかったが、一つだと思っていた塊は、二つの塊が重なっているものだった。
覆い被さるように、上に乗った塊は、胴体からだらだらと血を垂れ流している母で。
下の塊は、額に穴が空いた父だった。

「……っあああ!!」

それらが両親だとわかってしまった瞬間、口が叫び声をあげていた。
胃の底から液体がこみ上げてきて、抑え切れずに吐き出す。
その所為で、喉が焼けるように熱い。
思わず咳き込み、脚から力が抜けて、その場に膝をついた。

声に気付いたのか、見知らぬ二人の人間がやって来る。
「…誰だ?」
「こいつらの息子じゃねぇの?」
下卑た笑みを浮かべて、手に鈍く光る銃を持った二人の男たちが近付く。
「何だあ?お前も殺されたいのか?」
「……」
「命乞いでもしてみろよ!」
「……」

何も言わずに返り血に塗れたそいつらを睨み続けていると、一人がじれたように蹴りを入れてきた。
「…っかは、…」
下段蹴りは脇腹にクリーンヒット。
衝撃で再び胃の中のものを吐き出した。

「あーあー可哀想になあ。お前の親父の所為でこんなことになっちまった」
「けど、安心しな。お前もすぐにパパとママのとこへ連れてってやるからよお」
頭に硬い何かが押し付けられる。
嫌な予感が背筋を凍らせた。
カチ、と押し付けられた何かが音を立てる。

と、その時、別の人間の声が低く室内に響いた。
「その辺にしとき」
「アントーニョさん?!」
二人はあからさまに動揺を滲ませるが、硬い感触は消えない。
「ですが…」
「俺らを裏切ろうとしたんはその子の親やろ。その子は何も悪ない。殺すんは筋違いや」
渋々、といった感じで、男は頭から銃口を離した。

「…お前が父さんと母さんを殺したのか」
新しくやって来た、アントーニョと呼ばれた男を睨み付けて、尋ねる。
「そうや」
男は何の感情も感じられない声音で肯定する。
「…っなんでだよ!」
余計に腹が立って、質問を重ねた。
「あんたの親父が俺らを裏切った。あんたのお袋はあんたの親父を庇って死…」
「ふざけんな!絶対許さねえからな!」
再び無感情に話し出す男を遮って、声を張り上げて叫んだ。
すると、アントーニョは少したじろいで、言葉を紡ぐ。
「っ…そうやな。確かに、あんたには俺を殺す権利がある」
「アントーニョさん?!」

アントーニョは懐から男たちと同じ形の銃を取り出して、取っ手の上部についた部品を下げてから差し出した。
「撃鉄は落とした。後は引き金を引くだけや。俺に向けて撃ってみ。それであんたの復讐は終わる。俺もすぐに、あんたの両親みたいな肉の塊になる」
握らされた銃は重く、一人では支えられそうになかった。
「……あ…」
アントーニョが銃口を自らの左胸に押し付け、笑って言う。
「構わへんよ。あんたにはそうする権利がある」
「……っ」
今になって涙が流れ、視界が曇る。引き金に指をかけるが、震えてそれ以上力が入らない。

何だか無性に胸が苦しくて、アントーニョの顔から目を逸らした。
そして、銃を床に置いた。
「……あんたは偉いなあ」
アントーニョは微笑んで、頭に手の平を乗せる。
「……」
手の平から伝わってくる温度は心地良く、両親を殺した人間とは思えなかった。

「俺はアントーニョ言うんや。あんた、名前は?」
「…ロヴィーノ」
「ロヴィーノ、気に入った。俺についてき」
「え?」
驚いて顔を上げるロヴィーノ。

「俺があんたを守ったる」

立ち上がり、視線を落として、アントーニョは呟いた。
「…それが俺にできる、せめてもの…罪滅ぼしや」







夕食を一緒にとることが、新しい習慣になった。

客人用の部屋をあてがわれたロヴィーノは、湯気が立ち上っている今晩の食事を見る。
「…ほら、ロヴィも食べや」
目の前の黒髪の男―アントーニョは、邪気のない笑顔を向けてくる。
「…腹減ってない」
ロヴィーノがそう呟くと、アントーニョは千切ったパンを口の前に差し出した。
「あーん」
「……」
断固として口を開けないロヴィーノに呆れたような嘆息を吐いて、アントーニョは言った。
「…食べんとおっきくなれへんで」
「なっ…!!」
口を開いた瞬間、アントーニョはロヴィーノの口にパンを放り込む。
鳩が豆鉄砲を食らった顔をしたロヴィーノを、アントーニョは満足げに見た。

その表情が癇に触ったようで、ロヴィーノは机の下のアントーニョの足を力一杯踏んだ。
「…っ痛!!」
アントーニョは足の甲を押さえて椅子の上にうずくまる。
すっきりしたらしいロヴィーノは、そんなアントーニョを無視して食事に手をつけ始めた。
「ちょ、ひどない?」
「…うるせーよ、馬鹿が」
何となく、出された食事は食べようと、思ってしまうロヴィーノだった。