海鳥があちこちに飛び交い、倉庫が立ち並ぶ港である。
一番倉庫と書かれた看板の前で、黒髪の男が煙草をふかしている。
青灰色のシャツは所々変色しており、三十代も半ばと見える男は、額に滲む汗を首にかけたタオルで拭った。
「サディクさーん。届けに来ましたー」
そう叫ぶアントーニョの言葉で、サディクと呼ばれた男は目前に広がる海から視線を移す。
「おーう。三番倉庫に置いといてくれい」
「はーい。プー、三番に運んでー」
指示を受け、ギルベルトは荷台にダンボールを積んだトラックを、倉庫の入り口に付けた。
「あり?そんなやついたか?」
アントーニョの隣に並ぶロヴィーノに目をつけて、サディクは尋ねた。
「あ、新しいバイトですね。ロヴィーノ言います」
アントーニョは笑顔で答えた後、ロヴィーノにも補足説明をする。
「ロヴィ、こちらはサディクさん。俺の雇用者みたいなもんや」
サディクは煙草を地面に落とし、爪先で踏んで火を消した。
「…ふーん」
そして、一歩近付いて、品定めするかのようにロヴィーノを眺めた。
煙草の香りが、たじろぐロヴィーノの鼻先を掠めていく。
「っ…な、なんだよ」
「いや、なんでも。…アントーニョ」
人懐っこい笑顔を浮かべた髭面は、ロヴィーノに対する関心をなくしたらしく、アントーニョに話しかけた。
「何ですか?」
「今年はどうでい?」
毎年の恒例行事となった質問が投げかけられ、アントーニョは例年通りに自信満々に答える。
「なかなかいい出来やと思いますね」
「そうか」
その答えに満足して頷いたサディクは、少し考えてから、ある提案を持ちかけた。
「…新しい取引の話が来てるんだが、乗るか?」
「…量によりますかね」
少し考えて、アントーニョは答えた。
「それは気にしなくていい。量より質が取引先の希望だからよ」
「へえ」
「なんでも、金持ち相手に商売するらしい」
「ウチの野菜でいけますか?」
「いけるいける。無理だったら提案しねえよ」
少し表情を曇らせたアントーニョに、サディクは明朗とした口調で太鼓判を押した。
「ありがとうございます」
その言葉に顔を綻ばせたアントーニョの耳に、ギルベルトの叫び声が入ってくる。
「一人じゃ運び切れねえよ!」
「わかった!…ロヴィ、悪いけど、手伝ったってくれん?」
大声で叫び返して、ロヴィーノに頼む。
「ん、わかった」
ロヴィーノは頷いてギルベルトの元へ駆け出す。その背中が倉庫に消えるのを見送って、サディクは低く呟いた。
「…アントーニョ」
「何ですか?」
首の後ろを掻きながら、サディクは目線を黒いゴム長靴の爪先に落とす。
この人がこうする時は、何か良くないことを告げる時だと、アントーニョは経験で知っていた。
「悪いこたあ言わねえからよ。あのガキと会うのだけはやめとけ」
予想は当たっていたのに、一瞬、何を言っているのか理解できず、アントーニョは背筋が冷えるのを感じた。
夏にもかかわらず、冷や汗が頬を伝う。
「え?」
「あのガキとは付き合わねえ方がいい」
頭の中で言葉を反芻してから、アントーニョは聞き返した。
「…ロヴィーノが、危険な子やって言うんですか…?」
「…まあ、そんなとこでい」
「なんでそんなことがわかるんです?」
茶を濁したような口調に、アントーニョは思わず語調を強める。
「いろいろあんだよ」
「いろいろってなんですか?」
「お前の知らなくていいことだ」
「説明になってません」
「…そんなに聞きたいか?」
押し問答を続けても無駄と判断したのか、サディクはアントーニョに尋ねた。
塩気を含んだ海風が吹いて、滲む汗を乾かす。
「勿論です」
「後悔しても知らねえぞ?」
「構いません」
もう一度念を押すが、アントーニョの答は変わらない。
呆れて嘆息を吐き、サディクは言い始めた。
「…いいか?あのガキはな…」
「おい」
続きは、割り込んできた声に遮られた。
ロヴィーノがいつもの不機嫌そうな表情でアントーニョに言う。
「ギルが、アントーニョも手伝いに来いって…」
ロヴィーノが口を噤んだため、しん、とした空気が流れた。
二人の間を漂う異様なそれを感じ取ったロヴィーノは、肌が粟立つのを感じる。
「…何の話してたんだ?」
「別に。大した話じゃねえよ」
応えるのを躊躇ったアントーニョの代わりにサディクが言う。
ロヴィーノはまだ何か言いたげだったが、アントーニョが歩き出すと、それに従った。
「…この話の続きは、また今度な」
アントーニョの肩を叩いて、サディクはロヴィーノに聞こえないよう囁いた。
アントーニョは、振り返らない。
ギルベルトは倉庫に戻った二人の様子を訝しんで質問した。
「…何かあったのか?」
この鈍感な男が感づいたということは、よほど変な顔をしていたのだろう。
アントーニョは曖昧な笑みを浮かべて、考える以上に動揺している自分をどこかへ追いやった。
「いや、何もないで」
「?ああ」
ギルベルトはそれ以上追及しようとはしなかった。