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恋するトマト@

真っ赤な実りが太陽に照りつけられて、キラキラと輝いている。
初夏と呼ばれる季節もとうの昔に過ぎ去り、本格的な夏が訪れたのだ。
じきに、収穫の時期を迎えるトマト畑の中を、鼻歌混じりに一人の男が歩く。

黒髪と、浅黒く焼けた肌が特徴的なその男は、胸元にはネックレスをかけ、白いTシャツに濃い藍のジーンズという、いかにもこの季節らしい姿である。
彼を、男手一つで育てた父親が、この農園を残して逝ったのは、もう五年ほど前のことだ。
父親の跡を継いで、この農園を守っていくことに、特に抵抗はなかった。
父親が亡くなった時分、来るべくして来たのだ、と感じたからかもしれない。
だから、自分も、一人でこの農園を切り盛りしていくのだと、アントーニョ・フェルナンデス・カリエドは思っていた。

そろそろ一休みしよう、と振り返った時、樹の陰に誰かが隠れるのが見えた。
「…?」
近所の子どもが遊んでいるのだろう。
そう、アントーニョは自分を納得させて、休憩することにした。

そんな風に、誰かに見られている感覚は、二、三日続いた。
誰が、なぜ覗いているのか、は全くもってわからない。
だが、一瞬だけ見えた人影は、子どものそれではなかった。

「…そういう訳でな、ちょっとどうしようか思ってんねん」
「へぇ」
時計の針は、午後2時を指している。
フランシス・ボヌフォアが営む近所のレストランは、アントーニョ以外に誰も居らず、貸切状態だった。
かき入れ時にわざわざ店を閉じてくれるのは、この友人の心遣いである。

「…ただ単にトマト栽培に興味があるだけじゃないの?」
フランシスの手にあるタオルは、皿から優しく水分を奪っていく。
カウンターを挟んで、カッターシャツを七分丈まで捲りあげたフランシスは、淡々と仕事をこなす。
「…そっか、そやな」

相談を持ちかけた時から、皿とにらめっこしているフランシスを信用するのは、いささか不安ではあったものの、とりあえずその意見を採用する。
「ほっとけば何とかなるよ。…ところで、いつ収穫するの?」
フランシスがカウンターに肘をついたために、金の髪が揺れ、距離が狭まる。

「んー…明日からにしよかと思ってる」
「採れたら持ってこいよ?お兄さんが美味しく料理してやるから」
顎にひげを生やしたフランシスが口角を上げて笑顔を作る。
「わかっとるって。…でも、なんかその言い方嫌やわ」
「なんでよ?」
冗談めかしてアントーニョが言うと、フランシスも笑って応える。
「なんか、自分の娘を盗られたみたいな気分や」
「…親バカにもほどがあるんじゃない?」
「うっさいわ」
「あ、収穫するんだったら、ギルも呼んであげて。あいつまたふらふらしてるから」
「ん、わかった。ってか、プーまだふらふらしてんのか」
「そうなんだよね。さっさと定職に就けばいいものを…」
やれやれ、といったように嘆息を吐くフランシス。
「それができひんから、プーやねんけどな」
カランカラン、とドアに吊り下げられたベルが来客を告げる。

「俺様が来てやったぜ!」

一歩踏み込むと同時に、店内に声を響き渡らせた張本人は、アントーニョの隣に腰掛けた。
「うわ、プーやん」
「うわとか言うんじゃねえよ。せっかく来てやったのに」
「誰も頼んでへんわ」
銀髪、赤目の男の発言に、笑いながら軽口を叩くアントーニョ。

「あ、そうや。プー、もうすぐトマト収穫するつもりやねんけど、手伝ってくれん?」
「いいぜ。いつからやるんだ?」
「明日からしようと思ってんねんけど、もしかしたらまだ早いかもしれんから、明後日来てくれん?」

「…で、お二人さん」
尋ねるフランシスに、二人は声を揃えて聞き返す。
「なんや?」
「なんだ?」
「注文、何にする?」
言わずもがな、といった気もしないではないが、アントーニョは答える。
「いつものやつで」
「俺も」
「了解」
短く言ったフランシスは、調理場の巨大な冷蔵庫を開いて、中から氷を取り出す。

「なあ、プー。聞いてや」
「なんだよ」
プーと呼ばれた男は、フランシスから氷水の入ったグラスを受け取り、それに口をつける。
「最近な、仕事中ずっと誰かに見られてんねん」
「…は?気のせいだろ」
「いや、ちゃう。絶対ちゃう」
「小動物の類が見てたんじゃねえの?」
黒のTシャツに身を包んだ銀髪の男―ギルベルト・バイルシュミットは、独特な笑い声をあげる。
「もうええわ。プーに話した俺がアホやった」
「いきなりそんなこと言われても困るっつの」
「そうやんな。プーの何かが抜け落ちた頭やったら、それが限界やんな」
憐れみをこめた視線を感じたギルベルトは、アントーニョに食い下がる。
「ちょ、ひどくね?」
「はいはい。喧嘩しないの」

そこに割って入ったのは、食材を切り分けているフランシスである。
「いや、今のは絶対こいつが悪い」
「わかったから。ただでさえ暑いんだから、熱くなるのやめて」
「そういや、なんか暑いな思っとってんけど、どないしたん?」
「最近、クーラーの調子が悪いと思ってたんだけど…。とうとう壊れちゃったみたいなんだよね」
「え、大変やな。どうするん?」
「ああ、修理屋さんに頼んどいたから、次来た時には直ってるよ」
「修理屋って、プーの弟?」
「うん」
「お前もちゃんと働きぃや」
アントーニョは、ギルベルトの弟とはあまり面識がないものの、生真面目そうな印象を受けたことを覚えている。

「うっせえ」
「だから、喧嘩しないって言ってんでしょ」
ソースの匂いが辺りに漂い始め、余計に腹の虫がうるさく騒ぎ出すのだった。



翌日も、空は青く澄み渡り、夏の日差しはじりじりと地面を灼いた。
トマトの調子は上々で、これなら翌日を待たずに収穫できそうであった。

「先にちょっと収穫してみよか」
アントーニョは、トマトの茎の部分を指で千切る。
「やっぱええ出来やわ」

自画自賛とわかっていても、そうせずにはいられないほどの出来だった。
はちきれんばかりに膨らんだトマトの瑞々しい弾力を感じる。
今日も、あの視線を背中に受けとめつつ、作業を進める。

ちらと視線を送ると、またわざとらしく樹の陰に身を隠すその人は、青年と呼ばれるほどの年齢に達しているように見えた。
アントーニョは溜め息を吐いて、その青年に声をかけた。
「…あんた、最近ずっとそこにおるよな?」
樹の後ろの陰は、動かない。
「そんなとこおらんと、こっち来たらええやん」
その青年が茶色の瞳を覗かせて、少しだけ姿を見せた。
「…な、なんでわかったんだよ、こんちきしょー」

呟く言葉が、尻尾を隠しながら、必死に威嚇している犬みたいで、アントーニョは思わず笑ってしまった。
「そりゃあんな隠れ方やったらわかるわ。自分、名前は?」
茶髪の青年は、しばらく迷う素振りを見せてから、言った。

「ロ、ロヴィーノ・ヴァルガス…」

恐る恐る樹の陰から出てきたロヴィーノは、カッターシャツの襟元でリボンを締め、下は淡い色のジーンズ履いている。
その様子が、やはりこちらを警戒している小動物みたいで、可愛い。
「そうか、俺はアントーニョや」

アントーニョは手に持っているトマトを差し出して、ロヴィーノに言う。
「なあ、これ…」
「…え?」
「ひとつお前にやるわ!」
「い、いいのか…?」
不意を突かれて、困ったような視線を送るロヴィーノ。
「別にトマトの一つぐらいかまへんよ」
「…あ、ありがと」
礼を言い慣れていないのか、ロヴィーノは、頬を赤く染めて言った。

「気にせんでええよ。…明日もまた来ぃや」
何故か、もっと話をしたくて、アントーニョは、ロヴィーノにそう言った。
「え?」
「明日はもっと色んな話しよ!ロヴィのこととか、聞かせてな!」
「…えっと…」
頭の中で答を考えているのだろうか、ロヴィーノは困惑の表情を浮かべた。
「あ、ロヴィが良かったらの話やで?嫌やったら、もう来んでええしな?」
「べ、別に嫌じゃねえよ」
地面の一点を見つめながら、ロヴィーノは言う。
「良かった」
「っ…」

アントーニョが不安から喜んだ表情を浮かべると、ロヴィーノはさらに顔を赤らめた。
だが、そんなことは意に介さず、アントーニョは言う。
「……ほんで」
そこで一息置いたアントーニョに、ロヴィーノは疑問を含んだ視線を送る。

「俺と友達になろう。ロヴィーノ」

「…え?」
予想外の答だったのか、ロヴィーノは思わず呟いた。
「嫌か?」
再び不安げな表情に戻るアントーニョ。
「ち、違うって」
慌ててロヴィーノが否定すると、アントーニョは笑顔で言った。
「そか。なら、今から友達や」
「…うん」
ロヴィーノは、微かに頷いた。

そうして彼は、短く別れの言葉を告げ、踵を返して去っていった。
残されたアントーニョは、遠く感じる明日を思って、一人呟いた。
「…プー、来るんやった」