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「奇縁-It's up to-」

その5分ほど前。

アーサーは教室に残っていた。
課題をまだ終わらせていなかったのだ。
そこには、学校案内をしてくれた栗色の髪の女子生徒もいた。

立ち上がって、荷物を鞄に入れ始める。
「…終わったの?」
女子生徒は本から視線をこちらに向けて尋ねた。
「ああ。…ごめん、待ってもらって」
「気にしなくていいよ。本も読めたし。課題、提出できそう?」
「一応。悪いんだけど、ドイツ語のチェックしてくれないかな」
「うん」
レポート用紙を手渡された彼女は、呟きながらそれに目を通す。
「…でも、カークランドくん、ドイツ語上手だから、大丈夫だと思うんだけどなあ」
苦笑して彼女を見つめる。
過去に習ったお陰なのだが、気付かないものかと思った。
もしかすると、顔立ちから歳はわからないのかもしれない。
「あ、ここ…」

言いかけた瞬間、校舎が揺れた。
重低音が3階のここまで伝わり、次にはマシンガン系統の発砲音が鳴り響く。
「…何?」
彼女は何が始まったのか、皆目見当がつかないといった様子でこちらを見る。
急いで教室の窓から昇降口を見る。と、昇降口に、装甲車が突っ込んでいた。

黒服の男たちが教室棟に入ってくる。
その傍には、教師らしき人間が、血を流して倒れていた。
「っ…」
その中に混じって、金髪の男子生徒が見えた。
間違いない。あの時、廊下で見たフェリクスと呼ばれていた少年だった。
ハリコフの麻薬製造工場にいたのも、彼だろう。

階段を駆け上ってくる足音と、止まない銃声を聴いて、焦りが生まれた。
「そこの床に座って、耳を塞いで、目を閉じてろ」
「え?」
「早く!」
「う、うん」
戸惑いながらも、彼女は指示通りに教室の入口のある壁に背を付けて、しゃがみ込んだ。
アーサーも、その隣の壁に背を付けて立つ。
そして、制服のブレザーを脱いで、それを彼女に被せる。

露わになったショルダーホルスターからPSSサイレンサー・ピストルを抜き、安全装置を解除。
コッキング―初弾を薬室に装填―し、いつでも撃てるよう構える。
壁の向こうから耳をつんざく連射音が響き、窓ガラスが割れて彼女に降りかかった。
弾は教室の扉を突き破って穴を開けたが、コンクリートの壁は貫通せず、食い込むだけだった。

アーサーのいるすぐ横の扉から突入してきた男の側頭部を撃ち抜く。
PSSサイレンサー・ピストルは、ロシアの特殊部隊向けの消音ピストルである。
サイレンサーを銃身に付けるのではなく、発射ガスを漏らさない特殊な弾薬を使用することで消音効果を発揮する。
男は声もなく教室の床に倒れた。
血溜まりが広がっていく。アーサーは男からAK-74と予備の弾倉を奪った。
異変に気付いた男の仲間たちが集まってくる。
弾幕を張りながら、次の行動を考えていた。







再び、アーサーに連絡を取ろうと試みるが、無駄だった。
そうしていると、茂みと柵の入り混じった隙間から、僅かに草の擦れる音が聞こえた。
そのため、そちらの方へ身体を向ける。
先にくすんだ銀のスポーツバックが隙間から出てきて、フェリシアーノが続く。

彼はこの学校の制服を着ていた。
ブレザーの下に防弾ベストを着ており、遠目から見れば完璧にこの学校の生徒だった。
なるほど、万が一とはやはりこういう意味だったのか。
ルートヴィッヒがそんなことを考えていると、フェリシアーノは、
「お待たせー。アーサーとは連絡ついた?」
開口一番にそう言った。
「いや、まだだ」
「そっか…」

フェリシアーノも倉庫横の陰に隠れ、中身の詰まった鞄を開ける。
「はい。一応、弾倉は入れてるけど、コッキングはしてないから」
フェリシアーノはホルスターごとHK P9Sピストルをルートヴィッヒに渡す。

H&K社のHK MP5サブマシンガンには、ローラー・ロッキングというシステムが組み込まれていた。
そのローラー・ロッキングを組み込んで設計されたのが、HK P9Sである。
そのため、この銃は命中精度が高い。

「ありがとう」
「どういたしまして」
受け取って、ホルスターを付ける。
「アーサーのことだが、頼めるか?」
「俺が連絡取ればいいんだよね?なら、できるよ」
予備の弾倉も受け取り、ベストのポケットに入れる。
「ああ。悪いな」
HK MP5―ドイツH&K社のサブマシンガンを手に取り、立ち上がって行こうとするルートヴィッヒ。

「ルート」
それを、フェリシアーノは呼び止めた。
「今日の晩ごはんは、パスタだよ」

朗らかに告げるフェリシアーノに、ルートヴィッヒも苦笑しながら返答する。
「…了解。フェリシアーノ、敵に逢ったら…」
「"迷わず逃げろ"でしょ?」
「そうだ。走ってれば、弾は当たらないからな」
「うん、わかってるよ」
「いい子だ」
ルートヴィッヒが、ぽん、とフェリシアーノの頭のに手を置く。
「いってらっしゃい」
「…行ってくる」

そして、ルートヴィッヒは音楽室へ駆け出した。







下の階では、相変わらず発砲音が続いている。
何が起こっているのかわからない。
ここを出ていったルートヴィッヒは無事なのだろうか。
そんなことを考えながら、ローデリヒは音楽準備室の事務机の下でうずくまっていた。

先刻―異変が起こった頃ぐらいから、頭が割れるように痛い。
目を閉じて痛みを鎮めようとするが、全く意味を成さない。

突然、ここではないどこかが脳裏に浮かぶ。
反射的に目を開けようとするが、できなかった。

見たことのない部屋だった。
置いてある家具や、ぬいぐるみの数々から、子供部屋なのだろうと推測する。
辺りは暗いが、月明かりが室内を照らしているため、何とか様子がわかる。
足下が映り、大きな布が見える。その周りには、白い綿が散乱していた。
どうやら、ぬいぐるみの背中部分が破られていて、その上に立っているようだった。
ぬいぐるみ、という言葉に反応して、違う光景がフラッシュバックする。
顔の見えない女の人と男の人に、その熊のぬいぐるみを渡されている自分。

…母様と、父様…?

再び元の子供部屋の映像に変わり、そのまま続く。
私は震える手で、目線より若干低い位置のドアノブに手をかけた。
キィ、と音を立て、扉が開く。
廊下は薄暗く、階段の下から漏れる明かりを頼りに歩いた。
一段一段踏みしめるように階段を下り、ほどなく明かりが漏れ出ている元に辿り着いた。
耳を澄ますと、扉の向こうから、微かにオルゴールの音色が聴こえる。
古めかしい扉の前に立つと、何か生温かいものに足が触れた。扉と床の間から、液体が流れ出しているのだ。
暗くてよくわからないが、それは赤黒く見えた。
私はドアノブを握り締め、力を入れる。
手が汗ばんでいる所為でやりにくかったが、カチャ、と音を立ててドアノブが回る。

開けてはいけない。

何故かそんな風に思った。
だが、扉は壊れそうな音を立てて、開いてしまう。
まず視界に入ったのは、全身から血を流している父親。
「……!」
思わず叫びそうになったが、声が出ない。
視線を目の前に移すと、テーブルの陰から母親の足が出ているのが見え、急いで駆け寄る。
母親はまだ生きている。そんな希望を持っていたのだろう。
床がぬるついているため転びそうになるが、何とか母親の傍へ来れた。
テーブルの向こうには、首から上のない母親の身体だけがあった。
その隣には、繋がることのない身体を探しているかのように目を見開いている頭が転がっていて。
床に落ちている、血にまみれたオルゴールのメロディだけが、耳に残った。

「!!………」
また叫び声を上げそうになって、目を開けた。

何だ、今までの映像は。
私の両親は、交通事故で亡くなったはずじゃ…。

心臓が煩く鳴って、呼吸も荒らい。冷や汗が頬を伝わった。
それが、あの映像をより一層現実味を帯びたものにする。
自然と首に手がいき、かけられたペンダントを外す。
両親の遺品だと、祖母がくれた物である。
よく見ると、ペンダントトップには細い切れ込みのようなものが入っている。
力を入れると、それは二つに割れ、中から黒いチップのようなものが出てきた。
手に取って見てみるが、何かわからない。

チップを眺めていると、突然扉を叩く音が聴こえ、続いて発砲音がした。
鍵が壊され、誰かが侵入する。
ルートヴィッヒかと思ったが、すぐに違うとわかった。
その人間は、黒髪に、人懐っこい笑顔を浮かべていた。
躊躇いなく近付いてきたため逃げようとするが、逃げ場がない。
チップを握り締め、その男を睨みつけた。

「あんた、大丈夫か?」
一瞬、男が何と言ったのか理解できなかった。が、落ち着いて英語で話しているのだと認識する。
「めっちゃ顔色悪いやん。あ、言葉通じてる?悪いけど、俺ドイツ語喋れへんねん」
「…そうですか」
過去に習った知識を引っ張り出し、返答する。訛りが強いが、意味は伝わってきた。
「それは良かった」
男は満面の笑みを浮かべたまま、こちらに銃口を向ける。

「っ…」
「ちょっと訊きたいことがあんねん」
「…何です?」
「エーデルシュタインの息子って、あんたのこと?」
「…ええ、そうですよ」
「死んだ親の物とか、貰ってへんの?」
「…残念ながら」
チップを握る右手の力が強まる。
「…ふーん、そうなんや」

男は視線を窓の外へやって、呟く。
「…俺らがこんなことしてんのは、全部それのためやねん」
「え?」
「ここの生徒が死んでいってんのも、な。…やから、あんたがこの学校来てへんかったら、こんなことにはなってへんねんなあ」
「そ、んな…」
雇い主の趣味も多少はあるみたいやけどな、と付け足して、男は苦笑する。
「渡してくれへん?…それで終いにしよ」

床が血に染まっていく錯覚に捕らわれる。赤い液体が、扉の方から広がっていく。
同時に、あのオルゴールのメロディが頭の中で鳴り響いた。

「…Fur so eine Sache!(…っこんな物のために!)」
床に投げつけようとした腕を掴まれ、それは叶わなくなる。
「ごめんやけど、俺らにとったら必要な物やねん」
力の入らなくなった手の中から爪の半分ほどの大きさのチップを抜き取り、男は立ち上がった。
そして、再び銃口をこちらに向ける。
血溜まりはただただ広がるばかりで、とうとう足元をぬるつかせる。
気分が悪くなり、吐き気がこみ上げてきた。

男が何かを呟いたが、聞き取れない。
オルゴールの音が大きすぎる所為だ。
_
そうして私を救ったのは、一発の銃声。